サッカーを映像で観るようになり、目が悪くなったのは間違いない。
当初は眼鏡だったのだが今はワンデー(1Day)使い捨てコンタクトを使用している。
長年使用しているが未だに裏表が分からない。そもそも目が悪いのだからフチの形など見える筈がない。
本当にみんな、裏表が見えているのかが不思議だ。
確率は二分の一だから取り敢えずケースからレンズを出して入れてみる。
両眼ともゴロゴロしなければ、その日はワンダフルで過ごせる。
さながらブートキャンプのような高校3年間は自分を鍛えてくれたが2度と戻りたくはない。
練習が終わり、翌日の練習開始までの時間を指折り数えて、恐怖に怯えたものだ。
だが、指導者になった今、恩師 古沼 貞雄先生の偉大さと凄さが分かる。
35年も前の練習だが、今でも通用する練習メニューだと思う。
基本的に練習メニューは毎日、変わらなかったと記憶している。
シュート練習と対人練習の繰り返しだった。
シュート練習は完全なクローズで徹底して反復だった。インステップシュートとインサイドシュートを必ず枠内に飛ばさなければならない。
インフロントやアウトサイドで回転を掛けたシュートは御法度で、唯一許されるのは「ワールド」と呼ばれるアンダー代表で日の丸を付けるスター選手だけだった。
自分如きが、そんなシュートをしようものなら直ぐさま最下層のグループ行きを命じられてしまう。
レギュラークラスを死守するために全集中してシュート練習をしたものだ。
対人練習はボールポゼッションなどした記憶はなく、縦50メートル×横40メートルでの3対3+GKだ。
ワンタッチかツータッチのタッチ制限なので正確性、判断能力と走力が重要だ。
そして、攻守の切り替えがあるので心肺機能の向上の練習にもなる。
何も考えず、ひたすら一生懸命にやっていただけなのだが今、思えば『戦術的ピリオダイゼーション』的な練習だった。
選手達は複雑に移り変わるゲーム対応力が自然と身についていたのだと思う。
狭い校庭のグランド、大人数の部員。いくら優秀な選手が集まるにしても長年に渡って、常勝チームを作り上げるのは並大抵の事ではない。
徹底した基礎技術練習、ゲームを想定した対人練習そして非科学的な鬼の素走りだけでは不可能なのだ。
帝京高校サッカー部が強かったのは厳しい練習だけではなく『組織』にあったと思う。
その一つが完璧にオーガナイズされたピラミッド型のシステムだ。
アカデミーの育成組織ピラミッドでは無く高校選手権で日本一になる為のピラミッド型。
いうなればトップチームを4段のピラミッドにして、這い上がった者だけが黄色のユニフォームを着れる『虎の穴』のようなシステムなのだ。
黄色のユニフォームに憧れて入学したにも関わらず、赤色のユニフォームしか着れない選手が大半だ。
※現在は分からないが当時はレギュラーチームだけしか黄色のユニフォームを着用できなかった。
「ワールド」以外は、少しでも調子を落とせば入れ替わりがあるのでチーム内での競争は激しかった。
選手権で黄色のユニフォームを着て日本一になるという、同じ目標に向かって厳しい練習をしているのだから仲間意識は相当強くなる。
チームにとって大切なアイデンティティ。それが全国的に知られる『帝京魂』なのだ。
今でこそ帝京グループ関連で『帝京魂』と言われているが当時はサッカー部と野球部しか使っていなかった。
そして、何より指導者の情熱があった。
高校生の当時は嫌気しか無かった先生達だったが、同じサッカーの指導者になって初めて気付いた。
早朝の朝練から練習が終わる夜遅くまで、はたまた祝祭日まで年がら年中グランドに立つ。
サッカーに対する相当の情熱がなければ出来ないことである。
今般、世間では教職員の部活動への関わりが問題視されているが「働き方改革」などない時代である。
高校選手権で日本一になる為のピラミッド型、アイデンティティ、指導者の情熱。この3つの柱が帝京サッカー部の黄金期を作って来たのだと思う。
今の時代、厳しいだけでは選手は育たない。だが、今も昔もこれからも、この3つの柱は大切だ。
素晴らしい練習方法は昔に比べ沢山ある。だがチーム作り、組織作りの本質は変わらない。
いかに選手達に目標と競争意識を持たせ、ここは自分のチームだという帰属意識を植えつける。
そして選手たちを熱い気持ちにさせる事が大切だという事だ。
昔と今は時代が違いすぎるのは重々承知だ。言葉の掛け方さえ慎重にならなければならない。
指導者だけ熱くなっても選手が冷めていたら意味がない。
時代に沿った選手の、チームのやる気スイッチを探す目が指導者には必要だと思う。
古沼 先生の凄さは洞察力だ。選手の状態を見る力は勿論だが、全体を把握する事に長けているのだと思う。
あれだけの人数の才能を適材適所に見極め、次々に優秀な選手を輩出するのは凄い。
そして何より、ワンシーズンだけでは無く何年にも渡って強いチームを作る。
プロチームと違い、移籍選手による補強ではなく原石を磨き上げるのだ。
良い選手がいれば誰がやっても勝てると思いがちだが、それは違う。
マネージメント能力が高いからこそ原石は良い選手になり、良い選手はワールドになるのだ。
そして勝負勘は抜群に鋭い。全国大会などの宿舎で先生と「こいこい」やトランプをするのだが負け知らずなのだ。
勝負勘が鋭いというのは頭のキレが良いという事だと思う。自分が高校生の時の古沼 先生は今の自分より年が若い。今の自分を、あの頃の古沼 先生と比較するとどうか。
間違いなく敵わないであろう。先生は自分に取って、いつまでたっても追いつけない恩師なのだ。
高3の選手権前になると一応、進路相談はあるのだが、進路は自分では決められない。
古沼 先生がレールを引いてくれるのだ。
だが、これもまた凄いのがレールに乗っておけば行く先で活躍できるのだ。
ある日、スーツ姿の男性がグランドで古沼 先生の横で練習を見ていた。
何故か自分に視線を向けられているのが痛いほど分かった。
そして男性は古沼 先生に紙袋を渡し、頭を下げてグランドを後にした。
練習後、教官室に呼ばれた自分に「お前、日立に行けぇ」とだけ言われ、紙袋を渡された。
部室に帰って紙袋の中を見ると「銀座のバームクーヘン」が入っていたので皆んなで食べたのだった。
これが卒業後の進路が『日本リーグ一部の日立製作所』に決まった瞬間だったのだ。
翌日からは「バームクーヘンで売られた男」という変なあだ名で呼ばれる事となった。
Nordgreen公式直販サイト | Bang&Olufsenデザイナーがデザインした美しく
シンプルな北欧の腕時計ブランド