Jリーグが誕生して27年になり、全国に56のJクラブが存在する。
今や、Jクラブはポンッと、その県や街に誕生して、そこに当たり前に在るものと認識されているのはサッカー人としては嬉しい限りだ。
日本サッカー界はJ1を頂点に各都道府県リーグまでの三角形のピラミッドで構成されている。
皆さんは普段から生活のそばにある運動施設などで、常に地域の試合が開催されているのはご存知だろうか。
そこにはプロ選手を目指して奮闘する者、Jリーグで活躍する場を失った者、アマチュアとして割り切った者までが混在して、それぞれの夢と目標に向かった戦いがある。
ロアッソ熊本(当時ロッソ熊本)は九州リーグ所属ながら、全員がプロ選手で寮も完備され、サッカーに集中できる環境だった。
大半が元Jリーガーという、十分すぎる戦力だったが、Jリーグに昇格するまでに3年の歳月を要した。
カマタマーレ讃岐に就任した時の選手は、選手全員がアマチュアで、それぞれが仕事を持っていた。
午前の練習が終わり仕事に向かうのだが、人それぞれ違う職場だ。
クラブを支援してくれている会社にお世話になっている者もいれば、自分で見つけて来たショップ店員など、生活のために稼がなければならない。
プロ監督としての最初の仕事は、『サッカーで飯を食いたい』という夢を持ったアマチュア選手たちにプロ意識を持たせる事だった。
選手達の練習着は、前所属の練習着や外国チームのレプリカユニフォームだったり、バラバラだった。
まずはクラブに練習着を統一するようにお願いする事から始まった。
今でこそ、小学生のスクール生だって同じ練習着を着るのは当たり前だが、10年程前のJリーグを目指そうとする「このチーム」には無かったのである。
練習が終わるとそれぞれが、車の中だったり、グランドの端で着替えて職場に向かう。
見た目が悪いのもそうだが、何よりも選手同士の会話を増やしたかったので、練習前と後は必ず、更衣室で着替える事を「決まり事」にした。
試合に向かう時も、それぞれで行くのではなく、必ず全員でバスに乗っていく事を義務付けた。
当たり前の事を当たり前にしただけだが、何よりもアイデンティティを持たせたかったのだ。
「このチームは俺のチームである」という事を「アマチュアチーム」だろうが、植え付けなければならなかったので無い頭を捻り、アイデアを絞った。
地域リーグからチームは年々成長した。成長をするにはチームの中に、チームメイトに対して嫌な事を言わなければならない選手が必要だ。
誰だって人には嫌われたくは無いものだ。自分の居心地の良い場所を壊したくない。しかしチームを良くするためにはチームメイトに高い要求をしなければならない。
プロではない、地域リーグやJFLのアマチュアリーグとなれば、選手それぞれが目指す目標が違いすぎて「事なかれ主義」の選手が多かった。
当たり前の事を当たり前にしたのだが「鬱陶しく」思う選手もいたはずである。そんな選手に対して高い要求をぶつけていた『嫌われ役』が存在した。
横河電機(現 東京武蔵野シティFC)から移籍して来た 中島健太(現 ファジアーノ岡山 強化)は普段は無口だが、自分の考えをハッキリと口に出せる男だった。
練習中もよく他の選手と涙を溜めながら意見を交わし合い、一見すると厳しい口調だったがチームの為に「嫌われ役」を買ってくれていた。
もう一人は京都サンガから移籍して来た 西野泰正(現 ジュビロ磐田トップコーチ)だ。
中島健太とは正反対の性格ではあるが、同じように嫌なことでもチームメイトに意見を言って、チームを引っ張ってくれた。
強いチームを作るのは監督、コーチだけではない。ましてや、個性の強い選手達を一つにするのは、実際にプレーをする選手達なのだと思う。監督、コーチは手助けをするだけなのだ。
二人に共通するのは目標が明確だった事だ。自分の目標とチームの目標を重ねて、『昇格』する為に自分が何をすれば良いのかを知っていたのだと思う。
責任があるからこそ、良い方向に向かう為に仲間に高い要求をする。
その意見のぶつかり合いがチームを逞しく、強くしたのだと思う。
僅か4年でJリーグに昇格出来たのは、アマチュアリーグだったにも関わらずプロ意識で努力をした選手のおかげである。
4年間の間に選手は毎年入れ替わり、Jリーガーになれなかった選手達も同じ意識で戦ってくれた。
忘れてならないのは、「それ以前の選手達」と情熱を持って「クラブを運営して来た人達」そして「無償で物品などを提供してくれていた地域の人達」が居たという事だ。
クラブが大きくなれば過去の事は忘れてしまいがちだ。
今、全国に当たり前にあるJクラブには、それぞれの歴史がある。
それぞれに異なる、各クラブの成り立ちを知れば、試合観戦がより楽しく、価値あるものと捉えられるのではないだろうか。
そして、今もJリーガーを目指す選手、Jリーグ参入を目指すクラブが日本各地で歴史を作っている。
沖縄の居酒屋で「我那覇 和樹は沖縄のレジェンドだっよっ」とよく聞くが、香川県のうどん屋で「綱田 大志は讃岐のレジェンドやけん」と聞いた事はまだない。