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あの時を回顧してみる(新劇場版)

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去る9月10日、カマタマーレ讃岐の初代社長である熊野實氏がお亡くなりになりました。

何処のクラブもそうだと思いますが創設期に携わる方というのは私利私欲ではなく純粋に熱い気持ちを持たれている方が多いのではないでしょうか。

熊野氏もまたそんな方でした。

前職は高松市役所の総務部長をされていましたが香川県では長い歴史のある屋島サッカー少年団を立ち上げた方なのです。

サッカー不毛の地である香川県で人気のないサッカーを広めようと尽力され香川県サッカー協会の会長としてもご活躍されました。

そんな熊野氏が地元にJリーグのクラブを作りたいと有志5名の方々が私財を投じて出来たのがカマタマーレ讃岐なのです。

今、あの頃を知るのはアカデミースタッフの斉藤良平コーチだけになりました。

世代交代はどの世界にもあります。

外から見ていると元気が無いカマタマーレ讃岐ですが熊野氏を始めとした創設者の方々の『地元にJリーグ』という熱い気持ちをもう一度、思い出して頑張って欲しいと切に願います。

熊野氏のご冥福を心からお祈り致します。

チームの方は勝ち点を拾える試合もあったが調子は上がらなかった。

失点してしまうとズルズルと引きずり、我慢できずに複数失点してしまう試合が続いた。

試合というのは良い時間帯と悪い時間帯がある。

悪い時間帯の時には無理をせずに守備でリズムを取らなければならないのだが我慢できない。

そんな時はピッチサイドから伝えることは出来るのだが、中で選手同士で声を掛け合い判断しなくてはならない。

シンプルにプレーをすれば良いものを複雑にしてしまったり、失点してしまうと前掛になり追加点を奪われてしまう。

ピッチの中でリーダーシップを取る選手がいなくバラバラのようだった。

自分の身体の方も良くなる事はなく相変わらず練習が終わるとすぐに家へ帰る日が続いた。

コーチングスタッフとのコミュニケーションも少なく、夕方に分析担当の片岡と連絡を取り合い次節に向けたスカウティングを行なっていた。

就任したのは四国リーグの頃だった。

選手達はアマチュアでどっぷり地域リーグに染まった選手ばかりだった。

Jリーグを経験した選手も数名いたが正直それを感じさせる選手はいなかった。

練習は『自分のやる事だけ』一生懸命に取り組んでいたがチームとして課題を改善しようと努力する雰囲気ではなかった。

仲間に要求する事はするのだが非常に淡白だ。

要求する方も言い放しで要求される方も聞き流すような感じだった。

そこで雰囲気を変えたのが後にフロントスタッフやアカデミースタッフとなる波多野寛、中島健太、斎藤良平のJFLから来た3人だった。

彼らはセレクションで当時の熊野社長と自分が面談をして意気込み、覚悟を聞いた上で加入にしてもらった。

新加入なのでキャプテン、副キャプテンでは無かったが練習など色々な所でリーダーシップを取ってくれたのだ。

その最もなのが練習中の仲間に対する要求だった。

年上、年下、元プロ選手などお構いなしに自分の要求をぶつけた。

そのせいか練習の紅白戦では同じチーム同士なのに言い合いどころか掴み合いになる事も少なくなかった。

それに触発された既存の選手達も『自分のやる事』だけではなくチームが勝つ為に『自分のやる事』に気づいたのだ。

他のチームに比べてチーム力は正直、劣っていたと思うが試合では我慢強かった。

劣勢でも慌てる事もなく耐えれるチームなのだ。

そしてチャンスを逃さず勝ちに繋げ、一年を通して一度も負ける事なくJFLに昇格した。

結局、この年の戦い方をベースにしながらアップデートを重ね讃岐スタイルを築くようになる。

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