総勢500名を超える平安絵巻さながらの優雅な行列が練り歩く、京都の葵祭をご存知だろうか。
仕事のなかった自分は昨年の葵祭で白丁役で牛車を引いていた。
京都御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社まで牛車を押しながら全長8キロを歩くのだ。
もちろん白丁なので白の足袋とワラ草履でアスファルトの上を歩くのだがダイレクトに重い体重が膝を襲い、痛みに耐えながら練り歩いた。
2日前に千葉県へ U-19日本代表 の試合を見に行った時に膝に違和感を感じた。
「平畠会議」出演のため東へ行くという事で洒落た格好をしなければならなかった。
一年間、育て上げた児島ジーンズの生デニムにはスニーカーよりもブーツだ。
多少、背が高く見えるであろうドクターマーチンを選んで履いて行った。
千葉みなと駅からダイエット目的のためタクシーに乗らず歩いたのだが、これが間違いだった。
高性能なエアークッションソールの踵を擦り減らさないように変な歩き方をしてしまったのだ。
帰りの新幹線では膝が熱くなってしまい、前にラモスさんが六本木のアスファルトで膝を悪くしたと冗談を言っていたのは、あながち嘘では無かった。
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自分たちが感じた試合内容とライターさんが書くマッチレポートの内容に差があるのはよくある事だ。
試合前の下馬評であったり、チームへの取材が影響している事もあるのだと思う。
そして試合中の監督のパフォーマンスや選手の大袈裟な仕草に惑わされる事も無くは無いと思う。
人それぞれ、サッカーの主観があるので仕方がない事であり、批判するなどサラサラない。
長野パルセイロとの「入れ替え戦」の評価もそんな感じだったと思う。
地域決勝大会から凌ぎを削り、JFLでも熱戦を繰り返して来た同期のライバルとの入れ替え戦。
実力は長野パルセイロが上だと思っていたのは自分だけでは無い筈だ。
一年前のJFLでは優勝したにも関わらずライセンスの関係で昇格ができず、代わりと言っては何だがカマタマーレ讃岐がJ2に昇格したのだ。
翌年、ライセンスを取得して、自動昇格の優勝こそツエーゲン金沢に奪われたが、2位を確保し、Jリーグ昇格の挑戦権を獲得した。
一方、カマタマーレ讃岐は開幕7連敗と苦しんだが中盤以降は勝ち点を積み上げ、21位に滑り込み残留へのチャンスを残した。
Jリーグ初年度を21位になり「入れ替え戦」の権利を得たが、この頃から何処で流出したのか自分の電話に無言電話や誹謗中傷のメールが来るようになった。
見た目ほどメンタルは強く無いので嫌な気分にはなるが、見えない敵を相手にするほど時間は無い。
相手は長野パルセイロか町田ゼルビアだ。何年も苦労して勝ち取ったJ2の席を守らなければならない。
リスクマネージメントを改めて徹底しなければならないと心に誓った。
J2はJFLより早く終わったので直接視察に行くことができた。
長野パルセイロと町田ゼルビアが2位を争っていたのでスカウティング を二手に分けた。
「寒さの厳しい長野県」と「まだ寒さを我慢の出来る町田市」なので監督の権限で迷わず野津田へ行った。
洒落のわかる気の利いた広報がいるとADカード番号007を渡してくれるのは偵察あるあるである。
用意された記者席で構える覚悟で見たJFLに少々、驚いた。
1年間、苦しみ抜いたJ2の戦いとスピード感が全くと言って良いほど違っていたのだ。
特に攻守の切替のスピードが違いすぎたのだが、たった一年で自分の目の変化にも驚いた。
J2に昇格してから勝てない試合が続き、繰り返しトレーニングをして、改善したのが攻守の切替のスピードアップだった。
ボールを奪われたら、いかに早くリトリートして守備組織を作り、ボールを奪ったら、いかに早くシンプルにシュートに持ち込むか。
カマタマーレ讃岐は選手、スタッフが多少なりとも持っていた小さなプライドを捨て、残留を手に入れるための戦い方をリーグ戦を通して確立していた。
香川県から長野県の移動には時間がかかる為、万全を期すようクラブが前々泊を用意してくれた。
満を持して「入れ替え戦」に望む長野パルセイロを地元のテレビ、新聞も後押しするように報道していた。
夕食会場のテレビから流れるニュースで、長野パルセイロのある選手の一言に全員が固まった。
カマタマーレ讃岐の戦い方を揶揄する一言だった。
ある選手が相手チームに発する言葉というのは、大体はチーム全体がそうに捉えているという事だ。
開幕7連敗の屈辱、死に物狂いで戦った残留争い。相手選手の何気ない一言にカマタマーレ讃岐の選手・スタッフ達のプライドに火がついた。
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試合は2戦とも一進一退の熱い戦いとなったが、昨年と同じ1勝1分で残留を果たした。
戦い方はJ2リーグと同じ、勝ち点を取りに行く「堅守速攻スタイル」を徹底した。
2試合を通してボックス内への進入はほとんど許さず、被シュートもボックスの外からが多かった。
自分たちがボールを持つよりも、相手にボールを持たれた方が、落ち着いてゲームをコントロールしているような選手の表情だった。
ボール保持率が高くともピッチの何処でボールを保持していたのか。
シュート数が多くとも何処からシュートしていたのか。
それぞれのチームのスタイルの組み合わせはどうだったのか。
もちろん、そこにはミスがあり不確実な色々な要素が含まれているが結果として完勝だったと思う。
地域一丸となり、目指して来た舞台に立てた昇格元年はJリーグの厳しさをクラブ、チーム、ファン・サポーター全員が思い知らされた。
だが、開幕戦から勝てなかった悔しさを糧に1年間みんなで作り上げた「堅守速攻スタイル」で残留を果たせる事が出来たのだ。
その後はリーグ最少失点やゴールまでの平均最短スピードなど「堅守速攻スタイル」を磨き上げて行った。
だが、そのスタイルも徐々に外野からの圧力が大きくなり、内部が混乱した話は今度、気が向いた時に。
長野パルセイロは素晴らしいスタジアムが完成したが未だJ2に昇格していない。
地域リーグを知る人は、松本山雅との『本物のダービーマッチ』を早く見たいと心から思っているはずだ。
因みにではあるが、前々泊をした時の練習場は松本市アルウィンの横だった。
セットプレーの練習で人数が足りないので事前に電話で松本山雅のスタッフにお願いをした。
反町監督と柴田コーチ二人は遅れて来て、雨の中のミニゲームだけに参加した。
だがトイレの影に隠れ、雨に濡れるのを嫌がりセットプレーの練習が終わるのを待っていたのを知っている。