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夏が来ても思い出さないけど


灼熱の太陽の下で練習すると熱が身体にこもって夜が寝苦しい。クーラーの風に弱い昭和の人間は、エアコン機能をうまく活用できないのだ。

今は16時からの練習なので15時くらいからグランドで準備を始めるのだが、余りの暑さでクラブハウスを出るのを躊躇ってしまい、勇気を出して外に出るのは結局、30分前になってしまう。

自分がいた、当時のカマタマーレ讃岐はクラブハウスが無かったのでコーチングスタッフは車から降りるとグランドに直行するしか無かった。駐車場で、その日の練習を打ち合わせをするのだが、日影のない練習場はキツかった 。

真夏の練習で思い出すのは、ショートコーナーのパターン練習だけを炎天下に1時間以上やったことだ。2014年のアウェイ・ジュビロ磐田戦の二日前の練習だった。

通常、二日前は確認程度のゲーム形式とセットプレーの練習を長くても、90分間で切り上げる。ましてや夏の暑い気候だからコンディションを考えて短い時間で選手達を上げてやらなければならない。

9時半からスタートして順調に11対11のゲーム形式の練習を消化して、最後のセットプレーの練習が始まったのが10時半前だったと思う。ジュビロ磐田のCK時の守備に弱点を見つけていたのでショートコーナーから始めた。

このショートコーナーで最後にシュートするのは、2週間前にコンサドーレ札幌から期限付き移籍で合流したばかりの 古田寛幸 だった。狭いエリアで2対1から3対2にするパターンだったが、最初の2対1が上手くいかない。そこで散々、時間を使って、次の3対2から潜ってシュートなのだが、シュート役の古田寛幸が暑さで参っていた。

古田寛幸は道産子で、北海道以外で生活するのは初めてだった。南国四国の太陽に完全にヤラレてしまい、シュートするにもフラフラだった 笑

関わるのは攻撃の3人と守備側2人の5人だ。それ以外の選手たちはボールが来ないので突っ立っているだけでバテていた。結局、全てが終わったのは12時を回っていた。

何故、そこまでショートコーナーに拘ったのかは忘れてしまったが、どこかでスイッチが入ったのだろう。試合の二日前なのに、選手も自分も疲労感満載で練習を終えた 笑

普段からハードな練習をさせていたいたが今回は忍耐力が必要な練習になった。「北さん、練習が長過ぎるよ」と選手に言われながら、いつものようにワイワイと皆んなで水シャワーを浴びた。

試合には負けたが、繰り返し練習をしたショートコーナーで得点が取れ、ジュビロ磐田を脅かせたのは結果オーライだ。Jリーグ昇格初年度だった事もあり弱かったが、あの頃の選手達は逞しく、格上だった全てのチームに臆する事なく闘ってくれた。

お世辞にも良い子ちゃんではなく、男子校のような雰囲気のチームだった。自分がやってた頃のカマタマーレ讃岐はそんなチームで、若手からベテランまで残留する事だけを目標に、想いが統一されていた。

そして毎年、活躍した選手は新たなチームへと活躍の場を変えて行くのは、サッカー界では当たり前のことで、同じ選手で数年かけてチームを作る事は不可能なのだ。アカデミーの育成チームや部活動では無いのだから。

それでも、あの頃の選手、スタッフからラインや電話がある。みんな、古巣のチームを気にしている。自分たちが作り上げたという気持ちがあるのだろう。今は苦しい時だが、頑張って欲しいと思っているのは自分だけでは無い。みんな立場上、声には出さないが応援している。

ちなみに、あの時は練習場を借りている時間に制限がなければ、あと1時間は続けていたかも知れない 。別に夏が来ても思い出さない思い出である 笑

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