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自分のサッカー感のもと

東京でS級ライセンスを受講していた時のホテルへの帰り道で突然、同じ受講生の 安間貴義 から「マコさんの練習ってピッチを縦に切っていますよね」と言われた。当時、安間はヴァンフォーレ甲府のコーチで独特の感性を持っており受講生の中でも一目置かれている存在だった。

それまでは共通の話題もなく二人だけで話す事などなかったが、その日を境に急激に親しくなり毎日のようにサッカーについて話をするようになった。サッカーの練習はゲームの『どの部分』『どのシュチュエーション』かを考えて105×68のピッチを切り取って選手に提示するが、そのほとんどが横切りの練習だ。

ヴァンフォーレ甲府のイメージは 2005年 柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦。日立台での第二戦目は柏が退場者を出してしまったとはいえ 大木武監督 の『クローズ』は破壊力抜群だった。その年は自分自身が初めて大人を指導する立場となりスタイルと戦術をもっと学びたいと考えていたので受けた衝撃は大きかった。

その 大木武 監督の右腕を務める安間と攻撃についての考え方や練習方法など彼のサッカー感を聞いてるうちに自分のやりたいサッカーがぼんやりと見えてきた事を今でも鮮明に覚えている。そして自分のピッチを縦に切った練習は更に明確な考え方に変わった。今の『言語』で言う5レーン理論の考え方だ。

自分のサッカーを作るきっかけとなった出来事は他にもある。現役時代チームメートだった元ブラジル代表の ゼ・セルジオ の影響、21歳の時に一年間サンパウロFCの若手チームでプレーしてブラジルサッカーを肌で感じた南米サッカーがそれまでの軸だった。

サンガで育成コーチになってからは日本サッカー協会の強化指針に基づいて育成年代の選手たちに指導をしていたが2003年 トップチームにオランダ人の ピム・ファーベーク監督と中村 順 コーチ兼通訳がやって来た。

ピム監督は大宮アルディージャを指揮していた事もあり誰だったかは定かではないが「サンガに行ったピム監督の練習は見た方が良いよ」と言われていた。育成コーチの仕事は午後からなので午前中のトップの練習を見る事ができた。そこで見たボールポゼッションのボールの動きは規則的で面白いようにボールがよく動いていた。いつもグランドのフェンス越しに見学していたのでピム監督から「何か質問があれば、いつでも聞きにおいで」と言われた。

有り難かったが、そうは言われてもトップの監督に下っ端の育成コーチが質問するなど失礼だと思い監督室には行けなかった。それからも見学を続けていた数週間後、ピム監督と中村 順コーチが育成コーチの部屋に来てくれて「今日はどんな練習を考えてる」「子供達に何を伝える」と直々に話をしてくれた。

まだまだサッカー感も確立できてない若造の自分は当然ながらシドロモドロな受け答えしか出来ずピム監督は「何かあればジュンに聞きなさい」と言い残し部屋を出て行った。中村 順さんは「いつでもええよ」と笑って言ってくれたのは本当に嬉しくて、失礼を承知で疑問を投げかけ続けヨーロッパサッカーを知るきっかけになった。

その後、ピム監督はサンガを去り韓国代表監督に就任し、中村 順さんは育成コーチとしてサンガに残った。直近で見る 中村 順さんの練習は非常に洗礼され、特に選手への声掛けの強弱が素晴らしく、さすがプロを相手に指導していた人だと自分との違いに驚いた。

中村 順さんには試合分析の仕方まで教えて貰った。その時の教材が銀河系スター軍団レアル・マドリッド『ギャラクティカ』だった。個々の能力だけではなく、いかに相手を剥がしているのかを分析した。現在の試合分析もこの頃のやり方と同じだ。

分析以外でもボールの止め方、ボールの蹴り方といった基本技術、ビルドアップやゾーンディフェンスの考え方は今でも変わらないベースになっている。そして京都サンガを離れプロ選手を指導するという熊本行きの背中を押してくれたのが 中村 順さんだった。

人との出会いが人生を大きく変えてくれた。自分の理想とするサッカーの方向性はその後、スペイン・エスパニョールへ3週間の短期留学の後に決定的になった。

昨年11月にピム・ファーベーク氏が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

 

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