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歴史を作った仲間たちの想い

Jリーグが誕生してプロ以外の社会人サッカーリーグの再編が行われた。

Jリーグの下には全国リーグのJFL(ジャパンサッカーリーグ)が生まれ、その下には全国を9地域に分けた地域リーグがあり、その下に県リーグとするピラミッドが出来上がった。

Jリーグを目指すクラブは各地域のリーグ戦を制したのちに行われる全国地域リーグ決勝大会(現全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)で上位に入りJFLに参入しなければならない。

すなわちJクラブになるにはJという名前の付く全国リーグに参戦しなければ始まらないのだ。

無駄に熱い地決、日本一過酷な戦いと呼ばれるほど『地決』はJリーグとは違った真剣勝負を繰り広げサッカーファンを魅了している。

現在は1日おきの試合となっているがつい最近までグループリーグを3日連続で戦い、一週間後に決勝リーグを3日連続で戦わなければならない非常にハードな日程だった。

3日連続なので選手の疲労も考慮して戦う、まさにクラブを挙げた総力戦なのだ。

この戦いを制し、JFLを制した多くのクラブがJリーグで名を連ねている。

コーチとしてロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)、監督としてカマタマーレ讃岐でこの地域決勝大会を経験した。

どんな戦い方をしたのか、どんなチームマネージメントをしたのかを当時を思い出してみる事にする。

非常に厳しいプレッシャーだった事は忘れるはずが無い。

リーグ戦と言えど、ひとつでも負けたら終わりなのだ。

どんな勝ち方でも勝ちは勝ち、ひとつでも負ければシーズンは終わりになる。

たった一回のミスや、たった一点の失点で一年が終わってしまうのだから恐ろしいほどの緊張があるのは分かっていただけると思う。

コーチとして臨んだ初めての地決は薄氷の昇格だった。

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決勝リーグの3日目、相手はジェフユナイテッド市原・千葉アマチュアだ。

我々の試合前にFC琉球が引き分けた為、引き分けでも2位以内が決まり、勝てば優勝できるという最高のお膳立てが用意された。

前哨戦である全国社会人大会に続き、この地決でも優勝が狙える試合となった。

だが、この大会は魔物がいると言われるほど大番狂わせが多い。

早々に失点をしてしまい、追い付いたところまでは良かったが押され気味で試合は進んだ。

このまま同点で引き分ければ2位は確保できるが負ければ3位になってしまうのだ。

攻めるのでも守るのでもないオープンな試合展開が続いた。

それもそのはずで守り切る練習はほとんどやって来なかったのだ。

相手の背後にボールを蹴り「相手を裏返す」そしてラインを上げるのが苦しい時の戦略だった。

そしてアディショナルタイムに魔物は降り立った。

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