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史実は史実として記録しておこう(上)

歴史というものは時の権力者によって改竄かいざんされるらしい。

ドラマや小説は脚色がないと興味を惹かないので仕方がないが、単純な自分はそれを信じてしまっていることが否応にある。

戦国時代の武将など、果たして本当に教科書に載っている通りの人物なのかさえ分からない。

もしかすると、まったく別人だったという事だってあり得る話なのだ。

それならば300年後にサッカーの歴史書というのがあるのなら『讃岐と岐阜を降格させた』ことが改竄かいざんされ名将とうたわれている自分がいるかも知れない。

真実とは、その時代に生きた者にしか分からず、正確に後世に伝える事は難しいのだ。

FC岐阜に監督の打診をされた二日後、新幹線に乗り、岐阜羽島で降りた。

これまで自分と岐阜県との繋がりはあったのだろうか。

今になって考えてみると、これが節目節目にあったのだから驚いた。

現役を引退して京都サンガのフロントに入り、運営委員(副)になった。

運営委員の仕事は公式戦の運営業務で、試合開催までの段取りをするのだが競技場はもちろん、行政や警察署、消防署などにも計画書を提出しなければならない。

そんな仕事を初めて自分一人で任されたのがサテライトリーグ京都サンガ対ガンバ大阪だった。

だが、関西圏で会場を押さえることが出来なかったので『岐阜メモリアルセンター長良川競技場』を借りて試合を開催する事になった。

その為、週に三日、車で岐阜県に通う生活を一ヶ月ほど送っていたのだが、これが自分が初めて岐阜県と関わりを持った時だった。

京都サンガの運営委員が二十数年後に、このスタジアムをホームにするプロサッカーチームの監督になるとは誰にも想像がつかないどころか本人だって分からない。

なぜなら自分本人がサッカーの指導者など目指していなかったのだから。

それが何がどうなったのかフロント業務の仕事から指導者へと仕事が変わり、アカデミーコーチとして現場復帰したのだ。

サッカーコーチとなった自分はその後ロアッソ熊本に移る事になり九州リーグ、JFLを経てJリーグクラブのコーチとなった。

ロアッソ熊本とFC岐阜はJリーグの同期参入クラブだ。

Jリーグに新規参入を共に迎えたライバルということもあり、負けたくないと相当意識したのがFC岐阜だった。

そしてカマタマーレ讃岐がJリーグ参入した初戦が、メモリアルでのラモス監督が率いたFC岐阜だったのだ。

少し強引ではあるが、何故か自分の初仕事は必ず岐阜絡みなのだ。

縁もゆかりも無いと思っていたのだが繋がっていた事は嬉しい。

岐阜羽島の改札口を出るとFC岐阜の強化本部長、高本詞史が迎えに来ていた。

同い年の高本詞史とは京都サンガで現役を共にし、アカデミーコーチとしても同僚だった間柄でクラブが別になっても年に数回は酒を交わしていた。

現場とフロントと立場が違うが、会った時には近況報告であったり、お互いのクラブについて何時間も話をしていたのだが、一緒に仕事をする事は一切無いと考えていた。

何故ならば、一緒に仕事をするとなると金銭面、進退問題などが二人の間に入ってくるからだ。

長い間、仲の良い友人としての付き合いである高本とは、そんな関係になるとは思わなかったので、まさかのオファーだったのだ。

その伏線はあった。

浪人中、時間を持て余していた自分は吹田スタジアムに通い、ガンバ大阪の試合を分析して『note』に上げていたのだ。

「お前にそんな特技があったなんて知らんかった。岐阜の試合も見て教えてよ。」

その『note』を見ていた高本から連絡があった。

その頃、FC岐阜は勝ちゲームが無く下位に低迷していたので強化部長として第三者である自分が分析したFC岐阜を知りたいのだと思った。

DAZNで一試合だけ分析をしたが『note』に上げる事はせず、高本から連絡があれば伝えようと思っていたのだが一向に連絡は無い。

別に連絡が無いのはいつもの事なので気にもせずにいたが高本に電話をする事にした。

分析を伝える事ではなく、岐阜に行って大木さんの練習を見に行きたかったからだ。

「今週、練習を見に行きたいんやけど、いつ都合が良い。」

軽いノリで電話をすると意外な答えが返って来たのだ。

「今は駄目や。お前が来るとややこしくなる。」

現場を離れているせいか完全にカンが鈍っている自分に気づいた。

直接、大木さんに電話すれば断られる事は無かっただろう。

だが、勝ちに恵まれないチームは一体感を出そうと必死に練習をしているはずだ。

そこへ部外者の自分が行けば、大木さんが作り出そうとしている雰囲気の邪魔になるのは何年も経験した自分には痛いほど分かる。

それを察してチームを守る高本に断られなかったらチームに迷惑をかけていただろう。

「そりゃそうやな。応援してるから頑張ってな。ごめんな。」

そう言って電話を切ったのだが相手の事を感じ取れない自分に苛立った。

深く反省をした電話だったが、何日か経った時に高本からラインが入った。

[火曜日18時に山科のいつもの所に集合]

相変わらず絵文字が無い、用件だけの素っ気ない文章だ。

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