先日公開したブログが好評だったので番外編です。
ブログを書くのに思い出しながら当時を振り返ると、チームの中には後に有名になる人達が沢山いたことに驚きました。
今回のブログでは今をときめく人達が北野と接点があったんだというお話です。
僕が高校を卒業して加入したのは日本サッカーリーグ(JSL)一部の日立製作所サッカー部です。
柏レイソルの前身のチームです。
当時から黄色のユニフォームでキャラクターは熊でした。
日立のエアコン『しろくま』からなのかは定かではありません。
ブログ「Jリーグが出来る前のお話」で書いたように、加入した時は完全なるアマチュアチームでした。
日立製作所のスポーツといえば女子バレーボール。
三谷裕子選手、中田久美選手、大林素子選手など全日本の中心選手が日立バレー部に所属していました。
サッカー部は柏に移転する前は東京・小平に練習場があり、女子バレー部も小平の体育館で練習をしていたので、たまに遭遇します。
日立電子の敷地内だったと思いますがテレビで見るバレーボール選手はキラキラでした。
当時のバレーボール人気は男女問わず高かったので
「おー中田久美や」「大林素子やん」
と芸能人を見るような感じでした。
テレビのバラエティ番組にも出ている人気者ですから当たり前です。
こちらから会釈しながらすれ違うのですが、身体の大きさ以上に上からの態度をされていました。
そんなマイナースポーツのサッカー部でしたが日本代表選手はいました。
僕が加入した時、同期は高卒6名、大卒6名の12名がいました。
ちょうど、世代交代の時期だったので、オーバー30歳のベテラン選手が多かったのです。
ですから、正確に言えば元日本代表選手の人達でした。
その筆頭がストライカーの碓井博行さんでした。
二度、JSLの得点王になるほどの点取り屋で、日本代表でも釜本さんの次くらいに点を取っている選手でした。
高卒の僕からしたら、一回り以上も年上だったので「こんなにサッカーの上手いオッサンがいるんや」って思っていました。
身体はゴツいし、シュートは速いし、全てが桁違いでした。
年功序列のアマチュア、しかも元日本代表という事でチーム内ではまさしく王様でした。
他の選手は愚か、監督やコーチさえも意見が言えない存在でした。
そんな雰囲気を醸し出している選手なので二人一組の練習ではパートナーがいないわけです。
そうなると
「マコー、来い」
と遠くから呼ばれ、僕が指名されていました。
二人一組の基礎練習だけでも緊張です。
下手なボールは投げれません。
機嫌を損ねないように慎重に投げ、自分の番では丁寧にボレーキックをしていた事を思い出します。
しかし困った事もありました。
碓井さんは髪の毛が薄かったんです。
ですから雨の日は大変でした。
基礎練習のヘディングです。
僕がボールを投げて、碓井さんがヘディングをするのですがピチャって音がするんです。
さすが元日本代表の碓井さんは基礎練習でも手を抜く事はありませんでした。
髪の毛を振り乱しながらも、一心不乱にヘディングをするんです。
ピチャ、ピチャ。
一回り以上も年の離れた小僧が王様の額から出る音は笑いたくても笑えません。
唇を細め、内側から口の中を噛んで堪えていたのは良い思い出となっています。
その後、碓井さんはコーチを経て監督となり、大変お世話になりました。
グラウンドに連れて来ていた、ご子息の健平君はJリーガーになりましたね。
そして、碓井さんと双璧だった点取り屋が皆さんご存知、元日本代表監督の西野 朗さんです。
西野さんとは、ちょうど一回り違う未年です。
中盤の選手だったのですがリーグ戦で何試合だったか忘れましたが連続ゴールの新記録を作りました。
パワフルな選手の多かった日立でしたが西野さんは他の選手と違い、エレガントでした。
ポジションはコネクター的な役割でボールを捌く、華麗な選手でした。
浦和出身だからか「浦和のプリンス」とか呼ばれていましたね。
服装とかもカッコイイんです。
僕らは普段、どこへ行くのもジャージやスエットだったんですが、西野さんはシュッとしていました。
夏はラルフローレンのポロシャツで襟は必ず立て、セカンドバッグを小脇に抱えていました。
そんな格好良い、西野さんなんですが運転免許を持っていなかったんです。
大学生の頃から日本代表だったせいか、時間がなかったそうなんです。
そこで自動車免許取得の為、教習場に通う事になりました。
運転免許取得の難関は縦列駐車と坂道発進です。
当時のクラブハウスとグラウンドの間には広い駐車場があり、駐車場から道路に出る道は、緩やかな坂になっていました。
そうです、運転の練習には恰好の場所なんです。
そこで白羽の矢が立ったのが僕のフェアレディZでした。
先輩達の車はAT車で、マニュアルは同い年の清川 浩行(元ロアッソ熊本監督)と僕の車だけだったのです。
キヨの車はビンテージのビートルだったので西野さんはお気に召さず
「マフラーの音がうるさいけどマコの車で我慢する」
と訳わからないことを言いながら車のキーを要求するのでした。