車とバイクが趣味だ。そんなサッカーと関係のない趣味からも驚くような出会いを呼び寄せる。ロアッソ熊本のスポンサーでもある輸入車ディーラーのアデル・カーズ 池永成立 社長とは車好きが元で懇意にさせて頂いた。
ちょうどS級ライセンスの国内研修が終わり海外研修を残すのみとなっていた。海外研修は国外のクラブで2週間以上の視察を行いレポートを提出する事が課題となっていた。
そんな事を 池永社長 に酒の席で話をしていたらスペインのポルシェ社の友人の知り合いにバルセロナのクラブチームの下部組織に日本人のコーチがいるという。話はトントン拍子に進み、日程、視察クラブ、宿泊先まで自分の知らないうちに決まっていた。
バルセロナ空港で待っていた日本人はRCDエスパニョールの下部組織コーチ 志水和司 氏。彼との出会いで充実した視察ができた。通訳を兼ねてくれた彼は日本人だがクラブ正式のコーチという事もありトップチームを始め全カテゴリーを自由に視察する事ができた。
普通だとトップチームの練習はスタンドで見るだけで監督に質問どころか会う事さえできないが、 志水コーチのアテンドでピッチのすぐ横で練習を見る事ができ、監督にも質問する事ができた。元スペイン代表でバルサでも活躍したデ・ラ・ペーニャら有名選手も多く、見ていて面白かった。
練習が面白かったのはセグンド、Bチームである。二軍とはいえリーガの2部、日本に例えるとJ2である。練習も試合も近くで見る事ができ、セグンドの監督とはレストランでコーヒーを飲みながら作戦ボードを使って戦術の議論を何度かした。
エスパニョールのセグンドは縦に早いが雑ではない。システムは4−4−2で特にサイド攻撃を得意とし必要ならば斜めのロングフィードをどんどん入れていた。その戦術を自分に熱く語ってくれた監督は後のFCバルセロナ監督になる エルネスト・バルベルデ だった。
数年後にそんな出世する方とは思わなかったので彼の意見を否定したり、自分の考えを偉そうに語っていた事が恥ずかしい。バルサの監督になった時に 志水コーチから「バルベルデは北野さんのこと好きやったからバルサに呼ばれるんちゃいますか」と冗談を言われたがオファーは無かった笑
誰もが思う、バルセロナに来たからにはバルサの練習が見てみたい。だが世界的なビッグクラブの練習は見学ができないのが常識だ。
だが、いとも簡単にカンプ・ノウの隣のミニスタジアムで行われている練習を見学する事ができた。ミニスタジアムには他の見学者どころかジャーナリストもいない関係者が数人だけだ。そこに訳わからない小さい日本人が一人ピッチの脇にいるのは違和感でしかない。
最初に現れた フランク・ライカールト 監督が関係者と話をして、こちらの方に小走りで近寄り自分と握手しながら早口の英語で何か言ってピッチに向かった。何を言ったのか分からなかったので笑顔だけはしておいた。
続いて選手達が続々ピッチに出ていく。顔と名前が一致するスター選手ばかりなので圧巻だ。そのスター達が自分に笑顔で手をあげながら走り去るので緊張した自分は硬った顔で手を上げ返していた。
その日の練習はコンディション調整だった。ロンドとサーキットトレーニングで60分ほどで終了した。終わったので帰ろうとした時に カルレス・プジョル が寄ってきて、書くジェスチャーをしてきたのでお土産に買ったバルサのユニフォームとペンを渡したら全員のサインを貰ってくれた。良い人だ。もちろん一番下っ端の メッシ のサインもあった。
帰りの通用口には大勢のファンでごった返していた。中から出てきた小さな日本人を驚きの目で見ながら何故か、十戒のに人垣が割れたのには笑った。
スペインでの宿泊先は日本で言うところの民泊で家主はお婆ちゃんだった。この方は、バルサのレジェンドである カルロス・レシャック のお母さんだった。
5LDKはあったと思うが一室を借りて、朝晩の食事を作って頂いた。毎晩21時過ぎからはカフェオレを飲みながら広いリビングで話をしていた。
スペイン語とポルトガル語は似ているので少しはコミュニケーションも取れ、すぐに仲良くなり、お婆ちゃんは「バルセロナに居る時は何でも頼んでおいで」と親切に言ってくれたので遠慮なく「バルサ」とお願いした。
車好きの趣味から 池永成立 氏と懇意にさせて頂いた縁から 志水和司 氏に出会い、掛け替えの無い経験をさせて貰った。人と人の繋がりは無限の可能性を秘めている事を、あらためて思う。
そして 志水和司 氏に今の自分のサッカー感を決定付けたフットボールを見せてもらう事になる。その話は次回に書きます。