複雑な戦術と結果のギャップに加え、監督にはもう一つの大きな壁がありました。それが、プロのマネジメントです。
戦術論や技術指導だけでは、プロの世界はマネージできません。最も重要なのは、いかに選手に納得させることができるか、そして試合に起用できない理由を伝えることです。戦術的な判断であれ、コンディションの理由であれ、その理由を伝えるのは監督の大事な仕事であり、選手の信頼関係を築く基礎となります。
一度だけ、日本代表監督として一時代を築いたイビチャ・オシムさんに質問する場があり、私はあえて「メンバーの選び方」について尋ねたことがあります。
オシムさんが返してくれた言葉は、私の監督としてのキャリアを決定づけるものでした。
「最も大切なのは18番目の選手だ」
ベンチにも入れず、スタンドから試合を見つめる選手ではない。試合に絡むギリギリのラインであるベンチ入りメンバー、その中でも控えの最後に位置する18番目の選手のモチベーションこそが、チームの真の強さを決めるのだ、と。この言葉は、戦術論を超えたプロの現場の真理を示していました。
ベンゲル監督からの「Good Question」
その昔、私がまだコーチ業が駆け出しだった頃の話です。
Jリーグの試合後の記者会見で、当時名古屋グランパスエイトの監督だったアーセン・ベンゲル氏に戦術的な質問をしたことがあります。どんな質問だったかは明確に覚えていませんが、ベンゲル監督は私の質問に対し、真剣に耳を傾けてくれました。
そして彼は一言、「Good question」と言ってから、その質問の意図を汲み取り、非常に丁寧に答えてくれたのです。
今ではセキュリティの関係上、アカデミースタッフなどが記者会見場に入れることなど到底考えられませんが、当時は規制がまだゆるゆるでした。当然、他の記者の方々からクレームが入り、次節から会見場への出入りを禁止されてしまいました。他のアカデミースタッフからも怒られましたが、ベンゲル監督から直接答えを得られた経験は、駆け出しの私にとって大きな財産となりました。
チームの核との意思疎通
中西哲生氏の著書『ベンゲルノート』の中に、私のマネジメント哲学の根幹となる言葉を見つけました。
「チームの核となる選手と監督が良好な関係を築くことで、チーム全体の統制やパフォーマンス向上に繋がる。全選手に平等に接しつつも、特に影響力の大きい選手との意思疎通を密にすることで、チームの方向性を共有しやすくなる」
当時のベンゲル監督とストイコビッチ選手の関係の話でした。
私はプロチームの監督になったとき、この哲学を実践しました。
藤田俊哉というカリスマとの対話
この哲学を体現したのが、ロアッソ熊本時代の藤田俊哉との関係でした。
スポンサーの絡みもあったとはいえ、元日本代表であり、インテリジェンス溢れる彼の加入は驚きでした。
私は、右も左も分からない新人監督。立ち位置を見れば一目瞭然です。「武将と足軽」、「M-1チャンピオンと前説」くらい自分とは位が違う存在でした。
しかし、私は構えることなく藤田を受け入れました。自分の知らないことを藤田は知っている。逆に彼の持つ知識や経験を盗もうと思って接していました。
彼も一介の新人監督である自分に対して、とても謙虚に接してくれました。
私は彼に、自分がこれからやりたいサッカーのスタイルなどをどんどん打ち明け、彼からアドバイスを貰っていました。
今思えば、私もまた非常に謙虚な姿勢で接していたと、褒めてやりたいと思います笑。
もし、あの時に監督という威厳を見せようとしていれば、二人の関係は決して良好にはなっていなかったでしょう。
藤田俊哉というカリスマとの関係が良かったからこそ、私の試みたポゼッションスタイルを貫き通すことができたのだと思います。
木島良輔の統制とコミュニケーション
カマタマーレ讃岐時代、良くも悪くも絶対的な存在感のある木島良輔が、リーダーといえばリーダーだったと思います。
最年長であり、あの素行の良さ(?)から物申す選手も限られていました。
しかし、何か問題を起こせば、彼を謹慎処分にさせていました。
他の選手に対して示しがつかないのがその理由です。彼を試合に使わないのはチームにとって大打撃でしたが、それは彼も分かっていたはずです。
先輩、後輩の関係ではありましたが、他のチームでは絶対に許されない行為でも大目に見ていたのは、彼のチームへの貢献度とカリスマ性を理解していたからです。
また、在籍した期間が長かったせいもありますが、讃岐では選手一人一人とのコミュニケーションを密にとっていました。
自分自身が話すことはもちろんですが、ベテラン選手を使って若手に声を掛けさせたり、飯に連れて行けなど、言葉は悪いが上手く利用していました。
クラブハウスも専有練習場も持たないカマタマーレだからこそ、皆んなの生活圏が一緒だったのも幸いしました。スーパー銭湯、食事、うどん屋、コンビニなどなど、選手たちと顔を合わせる事が多かったのです。
練習中に意見がぶつかって険悪になっても、夕方コンビニで出会して、コーヒーを飲みながらヤンキーのように駐車場でくだらない話をしていたものです。ピッチ外の場が、結果的にチーム内のわだかまりを解消するクッション材になっていました。
マネジメントの断絶と教訓
残念ながら、FC岐阜では、核となるリーダーが不在でした。
シーズン途中からチームを率いたということもあり、「残留しなければならない」という強い思いとプレッシャーで、試合や戦術ばかりにのめり込んでしまい、マネジメントが疎かになってしまったのだと思います。
コーチングスタッフが前体制のままだったので、ここでのコミュニケーションが非常に難しかった。
大木武監督のスタイルとは真逆のスタイル(守備的な戦術)を取り入れたからです。
大木スタイルで編成された選手たちがいきなり守備的なプレーを要求されるわけですから、戸惑うのは当然です。
チーム状況は、知っている選手は一人もいない状態。
外国籍選手が6人(最終的には7人)、さらには途中移籍の選手が4人もいました。
讃岐時代の戦友、馬場賢治が途中レンタル移籍で来てくれましたが、時すでに遅しでした。
チームは最後まで「何が何だかわからない」混沌とした状態が続き、最後まで一丸になることはありませんでした。
今思えば、戦略を練るより、もっと選手たちとコミュニケーションを取れば良かったのかなとは思います
それとやはり、これだけ多国籍だと語学力は必要不可欠です。
2人の通訳も頑張ってくれましたが、監督が選手と直接、自身の言葉で話せる事ができれば、信頼関係の構築や戦術の浸透において、違っていたのかもしれません。
このベンゲル監督の哲学は、ピッチ上はもとより、選手間の目に見えない関係に監督の力が及ばない以上、リーダーを介して方向性を共有するという意味で、間違いないと確信しています。
目に見えない関係
そして、極限のプレッシャー下にあったJ2時代に活きたのが、オシムさんから学んだ18番目の選手のモチベーションの重要性でした。
選手間の目に見えない関係が見えるのは、監督を含めたコーチングスタッフではなく、トレーナーやマネージャーだと私は考えています。
監督が常にピッチや戦術に集中する中で、選手の体調や心情の変化、そしてロッカールームの雰囲気といった機微を捉えられるのは、日々選手と最も近い距離で接しているコーチングスタッフ以外の存在です。
だからこそ、影響力の大きい選手だけではなく、トレーナーなどコーチングスタッフ以外の信頼関係は、チーム作りにおいて非常に大切になるのです。
讃岐を支えた「年齢層」と「中堅の努力」
また、年齢層も重要な鍵だと、今になって思います。なぜ、讃岐が何年もの間、チームが一丸となって戦えたのか。
ただ年齢層が高かっただけではありません。中堅の存在が大きかったのです。
彼らは、勢いのある若手に追い越されないよう、自ら努力をピッチ上で体現し続けました。
その中堅層がチームの緩衝材となり、規律と競争を両立させていた。
その意味では、戦力を編成してくれていた強化部の中島健太氏の功績であり、彼の手腕に感謝しています。彼もまた、監督の私よりも選手を見ていた1人なのです。
「裏番長」と「ダマ」
しかし、このマネジメント手法は、女子チームであるノジマステラ神奈川相模原を指導した際には全く異なる難しさに直面しました。
女子チームでは、まずリーダーがいなかった。あるいは、リーダーがいても表に出たがらない。
昭和でいう裏番長はいるが、表の番長がいないのです。
そして、組織の中にダマ(小麦粉に水を入れてこねる時にできる小さな塊)ができてしまう。
この「ダマ」を分解すると、大人しい組織になってしまい、ピッチ上の勢いまで失ってしまう。
このリーダーシップと自主性の加減を見極めることが、とても難しい挑戦でした。
たとえ、リーダーがいたとしても異性という問題があったと思います。
男子の時のように2人で食事を交えた話など出来ません。
スタッフルームで選手と話をする時でもドアと窓は全開にしなければならないのですから。
最終的には至る所にダマはありましたが、自由にやらせる事で元気なチームになりました。
結果は伴いませんでしたが、ファンやサポータには記憶に残る試合ができたと自負しています笑。
監督という職業の難しさと視座
こうして振り返ると、監督という職業は、いろいろなことを考えれば考えるほど難しい職業だと痛感します。
ピッチの中では、個性の強い、職人が集まった現場を一つの戦術、同じ方向に導かせなければならない。
それだけでも至難の業です。
人生という名のピッチ
そして、これはプロチームの監督だけの話ではないと思います。
育成年代の指導者の方々にも知っておいてもらいたい。
プロの世界での挫折や成功の経験を通じて、私は「個の成長」と「集団のマネジメント」が表裏一体であることを学びました。
育成年代の指導者は、若者たちの「人生のメンター」としての役割も担っています。
彼らがプロ選手になる道は極めて狭く、多くの選手がその夢を叶えられずに別の道に進みます。
だからこそ、指導の根幹に「人生の学び」を組み込む必要があります。
彼らが将来トップチームや、社会に出た際に直面する、より複雑な課題への対処法を同時に教える必要があります。
試合に出られない時に、どのように自己を律し、建設的な対話を続けるのか。
組織の中で主張すべき時と、集団のために献身すべき時の判断力。
結果が出ない時、怪我をした時、夢が叶わなかった時、人生という長いピッチでどう再起動させるのか。
指導者が戦術の細部にこだわるのは当然ですが、戦術を語る前に、人間を理解すること。
サッカーを通じて、人生で必要な「謙虚さ」「粘り強さ」「感謝の心」を身につけられるよう導くこと。
これが、育成指導者が最も心血を注ぐべきだと思っています。
終わりと始まり
今年も多くのクラブで監督交代があり、どんどん来季の監督も決まってきました。
監督業は結果がすべて。その結果は、決してピッチ上の戦術や技術指導だけで決まるものではありません。監督をサポートする周りを見ることで、来季の成績も見えてくるかもしれません。
私の挑戦は幕を閉じましたが、指導者として学んだ「生存の哲学」と「マネジメントの真理」は、私の中に今も深く生き続けています。

