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がんばろ日本サッカー界!

「やっと終わった・・・」

目の前の試合に勝った喜びよりも安堵のため息が先だった。

地域決勝大会最終戦、関西代表の三洋電機洲本に勝てば優勝、そしてJFL昇格が決まる大一番の試合だ。

第一試合で長野パルセイロがYSCCに勝ち、2位以内を確定させていた。

第二試合が始まる時間になっても、歓喜の長野サポーターの影響でスタジアムは異様な雰囲気だった。

普段通りやれば勝てる試合だと思ったが、目の前での長野パルセイロの勝利そして、負ければ入替戦に回らなければならないというプレッシャーは少なからずあった。

ロアッソ熊本を満了となった次のシーズン、四国リーグのカマタマーレ讃岐の監督に就任した。

初めて監督として臨んだJリーグは、成績は振るわなかったが自分の思考するサッカーは表現できた。

ボールを保持しながら、相手陣地の深い所まで侵入してフィニッシュする、今でこそ当たり前にやるサッカーだが当時、ましてやJ2では稀有の戦い方だったと思う。

まだ、日本でFCバルセロナのティキタカが知られていない頃だ。

当時、湘南ベルマーレの反町監督が『ボール回しは日本代表よりも上手い』と言ってくれた程、面白いようにボールを動かしていた。

だが、面白いようにカウンターで失点してしまうので強いチームではなかった。

自分がカマタマーレ讃岐に就任する前の監督は羽中田昌さんで、ショートパスを駆使するサッカーを指向していたようだ。

その時の映像をいくつか貰ったのだが、映像自体が悪く、見る気がしなかったので1試合も見る事は無かった。

実際のトレーニングやトレーニングゲームを見るようになり、思った事は「こりゃ無理」だった。

熊本でやっていたサッカーとは本質が違いすぎているのだ。

藤田俊哉や石井俊也など個々の能力が違いすぎているのも勿論だが、目的が違うのだ。

熊本の時は、あくまでも目的はゴールで、その為には長いボールも躊躇なく蹴り込んだ。

(蹴り込んだ先には必ず2人以上いる事が約束事だったが)

カマタマーレといえば意味も無くボールをパスして、プレッシャーが掛かればバックパスしてしまい、気づいた時には自チームのGKまで下げてしまいドカーンと蹴るようなサッカーだった。

それでも四国リーグでは通用するレベルではあったが、それ以上のレベルでは通用しないと思った。

現に前年は四国リーグのライバルであった徳島ヴォルティスセカンドには勝てなかった。

それもそのはずで、若い選手が多いヴォルティスセカンドはカマタマーレのチョンチョンパス回しを走力でカバーしてしまうのだろう。

それくらいボールも人も動かないサッカーだった。

勝つ為には『勝つサッカー』にモデルチェンジしなければ次のステージに進めないと思った。

いくらJリーグを目指すと言っても現実的なサッカーをして勝つ事でしか上を目指せないのだ。

実際、ヴォルティスセカンドとの試合は台風の大雨でボールが走らないピッチ状態だった。

これまでのようなショートパスだけに拘っていたら勝機は無かった。

相手の背後へパスを供給して前線選手のスピードを活かすカマタマーレは、そんなピッチ状態でもヴォルティスセカンドを圧倒した。

そして勝つ事により選手達は自信を持つようになっていったのだ。

確実に四国リーグを制覇して、全国地域リーグ決勝大会の出場権を手に入れた。

上を目指すクラブにとって昇格は死活問題だ。

カテゴリーが上がって行かなければスポンサーも待ってはくれない。

JFLに上がれば入場料も取れ、知名度も上がる。

Jの付く全国リーグに所属していなければならないのだ。

カマタマーレは何度も足踏みをしていた。

その頃、香川県ではカマタマーレだけでは無く、野球、バスケット、バレーボール、アイスホッケーのチームがあり、日本で二番目に面積が狭い県内のスポンサー、ファン集めでしのぎを削っていた。

ちょうど自分が就任した年にバレーボールのクラブが無くなってしまったのだ。

否応が無しに危機感を持っていたのは事実だ。

クラブの経営陣達には

「なんとか勝ってくれ」

顔を合わす度に言われるのだからプレッシャーは掛かる。

とにかく勝たなければ先は無い。

今年、昇格しなければ今度はカマタマーレが無くなる可能性は十分にあったのだ。

だが、逆に自分達で勝ち取るというモチベーションもあった。

上に上がれば何とかなる。

その想いだけで戦った一年だった。

地域決勝大会の前には全国社会人大会がある。

ここを勝ち抜けば地域決勝大会の権利を得る事が出来る大会だ。

カマタマーレは四国大会を勝ち抜いたので出場権はすでにある。

だが、地域決勝大会に出場するチームも参加するので、今の力関係を試せる絶好の機会でもあるのだ。

他の地域のチームを見る機会は無いので情報を集める機会でもある。

そこで実施したのが全チームのスカウティングだ。

自分で見るのもそうだが、メンバー外の選手達にも協力してもらった。

オリジナルのスカウティングシートを用意し、事前に友人達から借りたビデオカメラを持たせて各会場へ行ってもらった。

この年の下馬評はダントツで長野パルセイロだったようだ。

柏レイソルで活躍していた宇野沢祐次を始め、選手の個の力はずば抜けているという。

次の昇格候補は元JリーガーだらけのSC相模原で、カマタマーレといえば地域決勝大会の常連だが、一度も決勝リーグに進出した事が無かったので完全にノーマークらしい。

親切な友人がネット記事を見て、教えてくれた。

そもそも下馬評って誰が評価してるのだろうか。

対戦した事のないチーム同士、分かるはずもない。

選手の名前だけで評価しているのならば、それはまったく当てにはならない。

サッカーというのは相手あってのスポーツなのだから、噛み合わせを見ない限り評価するのは難しい。

だからこそ、この全国社会人大会は重要な大会なのだ。

五日間で五試合という普通なら考えられないレギュレーション、尚且つ地域決勝大会出場の権利を持っているのだから100%の力を出す必要があるのか。

必要があるのに決まっている。

このレベルのチームや選手が調整などと言っている場合ではない。

ターンオーバーなど考えてもいなかった。

どの道、地域決勝大会は三日間で三試合を戦わなければならないのだから、良いシミュレーションと位置付けていた。

3回戦を勝ち、相模原と準決勝を戦うのだが、ここで大切な事を学ばされる。

試合の方はスカウティングのおかげで2対0の快勝だった。

我慢強く守り、カウンターで2点を奪う狙い通りの試合展開だった。

後半終盤に相手が2人の退場者を出し、少し後味の悪い試合となった。

連日の試合で選手の疲労が目に見えて分かる。

自分をコントロールできずにファールが増え、思い通りにいかないプレーにレフェリーに矢印が向いてしまう。

そうなると、退場やイエローカードの累積で出場停止の危険性が高まるのは当然だ。

トーナメントのような短期決戦のリーグ戦で出場停止は試合を難しくしてしまう。

実力差がある地域リーグの選手層では顕著に表れる。

レフェリーを味方に付けなければならない。

選手達には理由を説明して

「ジャッジには文句を言わず、ファールしたら謝って、絶対にカードを貰うな」

を徹底させた。

簡単なようで簡単ではない。

このカテゴリーでは、試合が一度、荒れてしまうと収拾するまでに時間が掛かり、その間にカードが出るプレーが多い。

選手だけではない。

レフェリーも経験の少ない人なので試合をコントロールするのが難しい。

Jリーグや上のカテゴリーを経験してきた選手はどうしてもジャッジに不満を持つ。

そうなると口に出てしまうのが、このカテゴリーなのだ。

個人だけではなく、チームとして共通理解をしておかなければならない。

ベンチから言うのも厳禁だ。

決勝戦では相手チーム、長野パルセイロの宇野沢選手が退場となり地域決勝大会のグループリーグ一戦目が出場停止になったのはカマタマーレにとってはラッキーであった。

そして独特のルール、同点ならPK方式で勝ち点に差をつけるレギュレーションだ。

夏過ぎから練習の最後はペナルティキックの練習で終わらせた。

水分を摂らせ、落ち着いた状態で試合さながらの雰囲気を持たせながらやらせた。

そのおかげでPK合戦は全部勝っただけではなく、1人も外す事はなく、試合中のPKもすべて決めた。

その後のカマタマーレは、肝心なシーンでPKを外している。

Jリーグ昇格のかかった入替戦でのガイナーレ鳥取戦では木島良輔が外し、Jリーグ初年度の大一番、カターレ富山のアウェイでは西野泰正が外し痛い目に遭っている。

それ以外の試合でもPK失敗確率が高かったのは、あの時に運を使い果たしたからだと心の中で思っていた。

当然、セットプレーも重要だった。

難しいデザインされたセットプレーではなく、キックの質と中に入るタイミングだけを徹底して練習した。

これまた成果が出て、地域決勝の決勝リーグの得点すべてがセットプレーだったのだ。

それだけではない。

試合中に起こり得る細かい事まで、ありとあらゆる事を伝えた。

クイックリスタートの仕方、得点後の相手キックオフの対応、時間稼ぎの仕方からスタジアムに入ってからの振る舞い方まで、やれる事はすべてやったはずだ。

それもこれも『Jの付くカテゴリー』に上がる為だった。

そんな子供騙しのような事は一発勝負だからこそ成せる事で上では通用しない。

運も味方に付け、めでたく昇格が出来た。

前の年、自分のやりたいサッカーをやりたい放題やってクビになった。

次の年は現実的な昇格する為だけのサッカーをやって9年間も監督を続けた。

おかげで現実的なアンチフットボールをする監督のイメージが付いてしまったが。

その年はJ2ファジアーノ岡山との練習試合以外は一度も負ける事がなかった。

上出来すぎるほどの結果を残せたからか、翌年、翌々年と昇格を狙う監督さんから『勝つコツを教えてくれ』と連絡があり、しっかり伝授した。

その甲斐もあり、その何チームは今はJ2クラブだ。

地域リーグのチームは資金力がない。

プロでは無いのだから、スポンサー集めは大変だ。

しかし、現物を提供してくれたりするスポンサーはいる。

食事の提供や、入浴施設、荷物車等の貸与など協力してくれる方々が多い。

こういう方々がいるから助かっている地域リーグのクラブは多いのではないか。

地域クラブのジャージには、これでもかと言うくらいの広告が貼られている。

それも他の地域の人が見ても知らない企業や店舗の名前。

これこそがオラが街のクラブなのだ。

それがJリーグに昇格すると、誰もが知っているスポンサーの名前に変わる。

仕方ないと言ってしまえば、それまでだが、創設期に協力している方々を忘れる事はあってはならない。

どのクラブにも歴史はある。

それを蔑ろにするクラブはそこまでのクラブなんだと思う。

今、プロから離れて思う事はプロクラブというのは本当に多くの人に支えられているという事だ。

スタジアムに行ってファンやサポーターの人達と話をしたり、SNSでとサッカーファンとの交流が増えたのがその理由だ。

現場にいるとSNSもやらない、限られた交流しか無かったので分からなかった事ばかりだった。

プロの人達も、もっとフランクにファンやサポータと交流すれば有り難みが分かるはずだ。

しかしまだ、野球には敵わない。

先日の阪神タイガースが優勝した時、近所に住む普通のおばちゃんが岡田采配を評論家かと思うほど詳しく、熱く語っているのだ。

高校野球にも詳しい、そのおばちゃんは次期入団選手まで分析して、来期に備えている。

頑張ろう日本サッカー界。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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