先日、Twitterで『戦術が”オタク化”する日本』というコラムをリツイートしたら反響が凄かった。
元ヴィッセル神戸・リージョ監督を取材した記事だが「難しい言葉」という事に同感したからだ。
自分のTwitterに流れて来る、沢山のアナリスト達の戦術的な言語には英語であったり、スペイン語の知らない言葉が溢れている。
なんとなくだが言葉のニュアンスは分かる。
だがそれは、そのチームだけの共通言語、もしくは誰かが言い出した造語なのかも知れない。
それが世界のフットボール界の共通言語のように、日本で一人歩きをしているのであれば恐ろしい。
その言葉の本質を見抜けなければ「知ったかヤロー」になってしまうので注意が必要だ。
「釣瓶(つるべ)の動き」というサッカー用語を使う事がほとんど無くなった。
釣瓶とは「縄または竿の先に付けて井戸水の水を汲みあげる桶」らしい。
ググっても「笑福亭鶴瓶」しか出てこない。
「楔(くさび)のパス」とは何か。単なるFWへの縦パスの事ではない筈だ。
FWに縦パスを入れると、どうなるのかを理解しなければならない。
言葉ではなく本質を知る事が大切なのだ。釣瓶や楔など子供が知っている訳が無い。
「オープンにコントロール」するという言葉を聞いた事はあるだろうか。
ボールコントロール(トラップ)を足下ではなく、身体の横に置く事ではない。
コントロールする事が目的ではなく、ボールを『次のプレーに移行しやすい場所に置き、身体を開き、顔が上がる状態を作る事』が目的なのだ。
聞く人によっては解釈の仕方は変わってくる。間違って解釈すれば、それは分かった風になってしまう。
これは伝える事が仕事の指導者だけではなく、どんな仕事でも恐ろしい事だと思う。
「察する文化」を持つ、日本人には多いのではないだろうか。
戦術にしても同じだと思う。目的が分かっていなくては戦術は語れない。
海外のサッカーを見て、良い攻撃だ、良い守備だと戦術分析したところで本質を見抜かなければ、それは現象を見ているだけなのだ。
最も大切なのは、その戦術に対してのプロセスとアプローチを知る事だと思うのだが。
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試合によって、戦い方を変える事はよくある。しかし何も新しい事をやっているのではない。
ラインの高さを変えたり、攻撃のポイントを変えたりしているが原理原則は同じなのだ。
キャンプから積み重ねた、チームとしての戦い方をアレンジしているだけなのである。
その伝え方は簡単に言おうが、難しく言おうが監督それぞれの手法だ。
結局のところ人と人で、信頼関係があるかどうかで伝え方と伝わり方は違ってくるものだ。
そして、現場のアナリスト(分析コーチ)は本質を見抜く仕事なのだ。
自分的には注目していた、稀代の戦術家であるリージョ監督が日本を去ったのは非常に残念だった。
次は和歌山で銭湯を共にした、ビエルサを待つしかない。
同じサポーター同士で「横文字を並べられてドヤ顔をされてしまう」と返信を頂いた。
自分もよくある事なので大丈夫だ。だが自分は「施されたら施し返す」の精神で、しっかり簡単な言葉を使い、3倍返しで言い換えてあげている。
オープンという言葉を日本で最初に言い出したのは京都サンガで同僚だった師匠 中村 順 氏だ。
京都サンガの小学生から高校生が使っていた言語が、瞬く間に全国に広まった。
数年後の全国クラブユース選手権に出場している指導者や選手達が普通に使っていたのには驚いた。
果たして本当に本質を分かっていたのかは定かでは無い。
因みにではあるが、師匠は数種類あるビルドアップの形を『大文字1号』とか『雅1号』などと名付けていたが、ネーミングが余りにも恥ずかしいので全国に広まる事はなかった。